MENU

バルト三国すべてが「中国離れ」を決断

* 物語 バルト三国の歴史―エストニア・ラトヴィア・リトアニア (中公新書・志摩 園子 (著))
二〇〇四年五月、エストニア、ラトヴィア、リトアニアは念願だったEUへの加盟を果たした。これまで三つ子のように扱われてきた三国は、なぜ「バルト」と一括されるのか。その答えは、中世から東西南北の交易の十字路として注目されたバルト海東南岸地域でくりひろげられた歴史の中にある。周辺大国ドイツ、ロシアの狭間にあって、それぞれの民族のまとまりを失うことなく、二〇世紀にやっと建国した三国の道のりを辿る。

<バルト三国すべてが「中国離れ」を決断…欧州で進めていた「一帯一路」が行き詰まりを見せ始めたワケ・次の標的はハンガリーとギリシャだが…>
リトアニアと中国の外交関係が極めて悪化
8月11日、エストニアとラトビアが中国との経済的な協力枠組みである「中国―中東欧国家合作」(通称「16+1」)から離脱すると発表した。
昨年、リトアニアがこの2カ国に先行してこの枠組みから離脱を表明しており、今回のエストニアとラトビアの決断によって、いわゆるバルト三国の全てが「中国離れ」を進めることになった。
とはいえ、バルト三国のこの決断は時間の問題だった。
2022/08/26 ・PRESIDENT Online・土田 陽介・三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員・・https://president.jp/articles/-/60947?page=1

  • URLをコピーしました!
目次