<朝日社説:「放送ガバナンス 実質ある「自主自律」を」>
正直に言って、私には理解しづらい点が多々あります。
放送局の「ガバナンス」強化の発端は、タレント・中居正広氏による女性アナウンサーへの性加害問題とのことですが、具体的にどのような加害があったのかは極めて不明瞭です。しかも、当事者間ではすでに和解が成立していると報じられています。
もちろん、放送局がガバナンスを強化すること自体には異論はありません。しかし、「実質ある自主自律」という言葉は、わかったようでわからない、あまりにも抽象的に感じられます。
社説では「『自主・自律』を単なるお題目にしない対応が、放送局にも政府にも求められる」と締めくくられていますが、なぜここで「政府」が登場するのか、私には理解に苦しみます。放送局の自主的な取り組みを促す文脈であれば、政府の関与はむしろ慎重であるべきではないでしょうか。
さらに言えば、放送ガバナンスの議論は、単なる不祥事対応にとどまらず、報道の自由や表現の多様性を守るための制度設計にもつながるべきです。ガバナンス強化が、結果として現場の萎縮や番組内容への過度な介入につながるようでは本末転倒です。
「自主・自律」を掲げるのであれば、まずは放送業界自身が透明性のある仕組みを構築し、視聴者に対して説明責任を果たすことが求められます。その上で、政府は制度的な枠組みの整備にとどめ、過度な介入を避ける姿勢が必要です。
<朝日社説:「放送ガバナンス 実質ある「自主自律」を」>・10月16日
https://www.asahi.com/articles/DA3S16324250.html?iref=pc_rensai_long_16_article