<田原総一朗「佐伯啓思氏の刺激的論文。一方的な“民意”は危険だ」>
「一方的な“民意”は危険だ」、当然と言えば当然。
しかし、民主主義国家、選挙制度を放棄することは出来ない、ジレンマ???
<田原総一朗「佐伯啓思氏の刺激的論文。一方的な“民意”は危険だ」>
京都大名誉教授の佐伯啓思さんが、文藝春秋の1月号で、「『民意』亡国論」という、極めて刺激的な論文を発表している。
賛否両論というよりも、おそらく批判が殺到するであろう。このような論文を発表できるのは他にほとんどおらず、佐伯さんならではの刺激に満ちた論文である。
佐伯さんは、「民意」の危険性の例として、ヒトラーのナチスを取り上げている。
「一九三〇年代のドイツでナチスは圧倒的な『民意』の支持を受けて政権をとった。そしてそれがデモクラシーを崩壊させたのである」
そして、佐伯さんは次のように続けている。
「今日、われわれはナチスからも『民意』の危うさを学んだはずであり、それを無条件に信じることなどできるはずはない。にもかかわらずそれを手放すこともできない。こういう奇妙なディレンマに陥っている。本心では信じていない民意にすべてを委ねるほかないのであり、それが、今日の、政治への不信、政治の不安定、政治への無関心、政治のエンタメ化の核心にある。とすれば、これは『民意が政治を崩壊させる』というべき深刻な事態ではなかろうか」
「大多数の国民は、日々の仕事やその場限りの快楽の追求に忙しく、またおおよそ半径数メートルの身辺事項にしか関心をもてない。政策判断においても、おおかた、それが自分にとって得か損かの判断になるほかない」・・・2021/12/29・ 田原総一朗・https://dot.asahi.com/wa/2021122700035.html?page=1
* 近代の虚妄: 現代文明論序説(佐伯 啓思 (著))
「ポピュリズム」「ニヒリズム」に象徴される近代の危機を乗り越えられる思想はあるのか。
「グローバリズム」と対峙するアフターコロナの価値観とはなにか。西洋近代の限界を縦横無尽に論じ、日本思想の可能性を探る。「当代随一の思想家」による「近代論」の集大成であり、「知の巨人」が新境地を開拓する主著。
トランプに象徴されるポピュリズム現象。しかしこれは今に始まったことではない。すでに1930年代のナチス台頭から始まっていたことだ。その原動力となったのは「ニヒリズム」。何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度である。
これが後にユダヤ人大虐殺の「ホロコースト」につながっていった。現在、先進各国を覆い尽くしているのも、こうした「近代の病」であるニヒリズムである。近代のこのような虚妄≒ニヒリズムを乗り越えることは可能なのか。その可能性として日本思想、とりわけ西田幾多郎「無の思想」などに象徴される京都学派に再び光を当てつつ、西洋近代思想と比較分析。その現代的価値を問い直す。