フィリピン、中国、韓国、ブラジル、ペルー、ネパール……さまざまな国の人たちが集まる大阪・ミナミ。日本屈指の歓楽街に、移民の子どもを支える市民団体「Minamiこども教室」がある。著者は記者としての取材を兼ね、ボランティアを続けてきた。
なぜ彼らは“ここ”にいるのか――。バブル期のフィリピン人女性への興行ビザ、戦前ブラジルへ出稼ぎに渡った日系人の還流、戦後の中国残留からの帰国、在日コリアン……
「移民のルーツ」をもつ子どもたちと接するなかで見えてきた「共生」の本質を、多数のエピソードから描いた“渾身”のルポルタージュ。
* 移民の子どもの隣に座る 大阪・ミナミの「教室」から(玉置 太郎 (著))
火曜の夜、私には行く場所がある。
居酒屋、焼き肉、スナックと、連なるネオンの間を人波が満たす、関西随一の繁華街、大阪・ミナミ。町外れにある古びた三階建ての建物に、その場所はある。
薄暗い階段を上がっていくと、三階の一室から子どもたちのにぎやかな声が漏れてくる。その声に迎えられるように、今週もここに来られた喜びが膨らんでいく。
その場所には「Minam iこども教室」という名前がある。
教室に集まる子どもたちはみんな、移民のルーツをもっている。親の両方、あるいはどちらかが移民である子どもたち。海外から日本に移り住んできた子もいれば、日本で生まれ育った子もいる。(中略)
私は十年ほど前から、教室で学習支援のボランティアをしてきた。きっかけは新聞記者としての取材だったが、通ううちに居着いてしまった。(「プロローグ」より)