<イスラム教の「ハラル」を自治体が強要してはいけない>
宗教とは難しいもの、イスラム教にせよ、インドのヒンズー教、いろんな宗教的束縛。
宗教の自由、それぞれの約束事、個人が守ること否定はしません。しかし、日本社会がそれを受け入れるためにそれぞれの宗教に合わせて、行政あるいは政府が、いろんな規制あるいは規制解除等を行うことあってはならない。
外国人受け入れ、それほどまでにして行う必要など無いのだ、馬鹿げたことを行えば、まさに外国人排斥運動に火がついてしまいます。
<イスラム教の「ハラル」を自治体が強要してはいけない>
最近、ハラルなどのイスラム教の慣習を容認する自治体が出てきた。北九州市は豚肉抜きの給食を検討していたが、抗議が殺到してやめた。宮城県はイスラム式の土葬墓地を検討したが、これもやめた。・・・2025.10.02・池田 信夫・https://agora-web.jp/archives/251002050420.html
<イタリア、イスラム衣装規制へ>
2024年、イタリア議会ではメローニ政権与党「イタリアの同胞」所属議員らによって提出された法案が、国内外で大きな注目を集めることとなった。この法案は、公共空間におけるフルブルカやニカブといった顔を完全に覆うイスラム衣装の着用を禁止し、イスラム教団体への資金の流れに透明性を求めるという、極めて象徴的な内容を含んでいる。国際メディアはこの動きを大きく報じ、イタリア国内でも法案の詳細とその背後にある政治的意図が詳しく伝えられた。
この法案が浮き彫りにしたのは、移民受け入れの最前線に立つイタリアが直面する、文化的アイデンティティと安全保障の狭間での苦悩である。表面的には宗教的シンボルの規制に見えるこの動きは、実際には欧州全体が抱える移民統合の課題、世俗主義と宗教的自由の衝突、そして国家アイデンティティの再定義という、より深層的な問題を内包している。2025/10/21・https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/vismoglie/2025/10/post-101.php