西はウクライナから東はカムチャッカにいたる広大な土地に散らばっていた 全68の収容地区の多様だった実態の全貌が、はじめて明らかに!
* シベリア抑留の全収容所を解き明かす:異国の丘に眠る同胞に捧げる鎮魂の史(長勢 了治 (著))
先の大戦後、ソ連に不当に拉致・抑留された六〇万人以上の日本兵と民間人が収容された収容所は、シベリア三重苦(飢餓、酷寒、重労働)は共通するにしてもその所在地ごとに実情は多様だった。(中略)
発疹チフスの蔓延で高い死亡率を記録した収容所もあれば、死亡者がゼロのところもあった。気候(寒さの度合い)、都会か山奥か、給養の良し悪し、作業の内容(鉱山、伐採、建築など)、ノルマ強制の強弱、医療体制、ソ連側と日本側の幹部の人柄、「民主運動」が過激か穏健か、などによって収容所の実情は多様だったのである。
シベリア抑留研究に後半生を捧げている著者が、日本側、ソ連側双方の膨大な資料を徹底的に読み込んで、各収容地区の抑留者数、死亡者数、所在地などを特定。生還者たちの数多くの手記を引用し、労働、食事、疾病など収容所での生活の実態を解明。『シベリア抑留全史』の姉妹編に位置付けられる労作。《地図・統計資料・地名・人名索引付》