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美術家・横尾忠則:「終活して逝くってしんどい」と語る理由

人は死んだらどこへ行く?
そんな夢想は結局、「死=無」という地平線上におさまったりする。だが、死の世界はそんな凡庸なものではない――。
87歳を迎えた世界的美術家が、死とアートの関係と魂の充足について自由闊達につづる。父母、愛猫の死から三島由紀夫、アンディ・ウォーホルらとの交流の記憶まで。貴重なエピソードを交え、「死」とは何か?
「死後を生きる」とはどういう境地なのかを考えていく。「人間は未完で生まれて、完成を目指して、結局は未完のままで死ぬ。これでいいのです」その言葉に触れればふっと心が軽くなる、横尾流人生美学。

* 死後を生きる生き方 (集英社新書・横尾 忠則 (著))
◆「おわりに」より◆
創作は自分の中の不透明なものを吐き出す作業だけれど、死について本一冊分語ったわけだが、死を言葉にすることで、自分の中の死も吐き出されたのかな?
それはともかく死を恐れる気持ちはいつの間にか薄められたような気もする。
本書の進行途中で急性心筋梗塞になって死にそこなった。死んでもおかしくない状態から、気がついたら(別に気絶をしていたわけではないが)無事帰還して、何もなかったように、再び絵を描き始めていた。
 
<美術家・横尾忠則が87歳になり死を意識…「終活して逝くってしんどい」と語る理由>・2024.6.11 ・横尾忠則:美術家・https://diamond.jp/articles/-/339279

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