* 叱られ、愛され、大相撲! 「国技」と「興行」の一〇〇年史 (講談社選書メチエ・胎中 千鶴 (著))
日本の伝統文化にして「国技」とされる大相撲は、一方で八百長疑惑や「横綱の品格」をめぐって、世間から叱られ続けている。この「叱られ体質」は、いつから、何に由来するのだろうか。大相撲100年の「叱られ、愛された歴史」を、「スー女」を自認する著者が丹念に掘り起こした意欲作。
明治42年(1909年)、落成したばかりの相撲常設館、その名も「国技館」の「玉座」で、8歳の少年が相撲を観戦した。この少年ーー明治天皇の皇孫、のちの昭和天皇に愛されたことが、大相撲の黄金時代と深い苦悩の始まりだった。
「国技」とは一体何か。「初っ切り」や「相撲甚句」「化粧まわし」は、「国技たる武道」の堕落ではないのか? 本書には、それぞれの「相撲道」を模索した人々が登場する。植民地台湾に力士100人を招いた任侠の親分。東京の相撲界に反旗を翻し、大阪で「角力」を興した異端児。「相撲体操」を考案し、台湾や満洲で相撲教育に邁進した熱血教師。勃興したスポーツジャーナリズムの中で、独自の相撲論を展開するインテリ力士。戦地慰問に疲労困憊しながら連勝記録を樹立した大横綱。そして1945年11月、焼け野原の東京、損壊甚だしい国技館に満場の観客を集めて、戦後初の本場所が開催される。
「国技」と「興行」のジレンマに悩みながら、いつも愛され、そこにあった大相撲の近代史。
<「白鵬処分」にみる閉鎖性と不透明さ。「叱られ体質」の相撲協会を変革する「第二の笠置山」は、きっといる!>
若手力士の活躍で盛り上がる一方、宮城野部屋の事実上の「閉鎖」や、二所ノ関部屋の「アルハラ疑惑」など相変わらず問題も絶えない相撲界。時代に翻弄されながら愛され続ける大相撲の近代史を描いた『叱られ、愛され、大相撲! 「国技」と「興行」の100年史』(講談社選書メチエ)の著者、胎中千鶴氏は、「いま相撲界に必要なのは〈笠置山〉のような人材だ」という。昭和前期のインテリ力士「笠置山」とは、いったい何者なのか――。
2024.05.12・胎中 千鶴・近代史研究者
https://gendai.media/articles/-/129441