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尖閣・習氏「1ミリも領土は譲らない」 尖閣諸島の闘争強化を指示

<習氏「1ミリも領土は譲らない」 尖閣諸島の闘争強化を指示>
私は何度も主張している、今年もそれを繰り返す。尖閣に軍事基地を10年20年、100年かけて。

<習氏「1ミリも領土は譲らない」 尖閣諸島の闘争強化を指示>・2023/12/30
https://nordot.app/1113801885739401649?c=302675738515047521
 
<門田隆将著「尖閣1945」が大反響 中国に口を挟む余地を与えず>・2024/1/2
https://www.sankei.com/article/20240102-Q2VUCOP6SVAOVGTGOH4BWII554/?outputType=theme_weekly-fuji
 
* 尖閣1945 (門田 隆将 (著))
なぜ「尖閣列島」は日本の領土なのか。そのことを示す、ある遭難事件。中国はなぜこの事件に触れられないのか。すべてが今、明かされる。
1945(昭和20)年6月末、石垣島から台湾に向かって最後の疎開船が出た。沖縄本島で日本軍が米軍に敗北し、八重山への米軍の侵攻を恐れてのことである。
だが、200人余の疎開者を乗せた2隻の船は東シナ海で米軍機の攻撃を受け、1隻は沈没、1隻は奇跡的に魚釣島に辿りつく。「あそこに行けば真水がある」との疎開者の進言があったからだ。
明治時代に“無主の地”魚釣島で真水を開拓した実業家・古賀辰四郎。それに伴い国際法に則って日本の領土に編入した明治政府。疎開者たちの多くの「命」を救うことになる真水をたたえた魚釣島は、同時に食べる物がない飢餓の島だった――。
餓死者続出の中、石垣島に助けを呼ぶため若者たちによって「決死隊」がつくられた。疎開者たちは夜を日に継いでサバニ(小舟)を完成させ、決死隊を送り出す。決死隊の若者の額には「赤い鉢巻」が締められていた。その鉢巻の意味と、そこに込められた疎開者たちの思いとは……。
奇跡がいくつも重なり合ったこの遭難事件と救出劇が、なぜ尖閣の日本領有を示すものになるのか。哀しく、悲惨で、目を背けたくなる出来事は、同時に、どんな逆境でも信念と矜持を失わなかった日本人の「希望の物語」でもあった。
なぜ尖閣は日本の領土なのか。尖閣と無縁な中国が、なぜ、かくも理不尽な主張をくり返しているのか。
「本書を読み終わった時、その答えを知ると同時に、人間とは“極限”に追い込まれても、使命感と不屈の精神さえあれば、とてつもない底力を発揮することを知っていただければ嬉しい。そして、毅然と生きることが、日本人にとっていかに大切か、是非、思い出してほしいと願う」(「はじめに」より)

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