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体育で公開処刑…なぜ授業で、辱めを受けなくてはいけないのか??

体育や美術等々、授業の選択制の拡大が必要か???
体育なんか嫌いだ!という児童生徒が増えています。なぜ、体育嫌いは生まれてしまうのでしょうか。
懸垂、跳び箱、なぜ、チャレンジを強要されるのか???

* 体育がきらい (ちくまプリマー新書・坂本 拓弥 (著))
授業、教員、部活動。問題は色々なところに潜んでいます。そんな「嫌い」を哲学で解きほぐせば、体育の本質が見えてきます。強さや速さよりも重要なこととは?
「『体育』なんて好きにならなくてもいい」のです。最も重要なことは、みなさんが多様な他者とともに、自分自身のからだで、賢く、幸せに生きていくことです。そのためにも、たとえ体育の授業や先生、運動部やスポーツが嫌いになったとしても、みなさん自身のからだだけは、どうか嫌いにならないでください。(「おわりに」より)
【目次】
はじめに
「体育ぎらい」への変なメッセージ?/これまでの体育ぎらい本との違い/「嫌い」と「好き」のあいだ
第一章 「体育ぎらい」のリアル
第二章 体育の授業がきらい「規律と恥ずかしさ」
第三章 体育の先生がきらい「怖くても、ユルくても」
第四章 運動部がきらい「体育教師らしさの故郷」
第五章 スポーツがきらい「残酷で、すばらしい文化」
第六章 そもそも運動がきらい「だからこそ、からだに還る」
 
<体育で公開処刑…なぜ授業で、辱めを受けなくてはいけないのか。トラウマになりかねない現代の「体育事情」>
2012年に中学校体育で必修化された「ダンス」。小学校の指導要領にも「表現運動」としてダンスが組み込まれ、なんと今の子どもたちは9年に渡って授業でダンスや運動表現をを学ぶのだという。もちろん得意な生徒にとっては楽しい時間に違いないが、トラウマ級の辱めを受ける生徒が確実に存在することにも目を背けてはいけない。 2023.12.22
https://shueisha.online/culture/180907

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