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「朝日新聞は死んだ」・朝日新聞政治部

* 朝日新聞政治部(鮫島 浩 (著))
地方支局から本社政治部に異動した日、政治部長が言った言葉は「権力と付き合え」だった。経世会、宏池会と清和会の自民党内覇権争い、政権交代などを通して永田町と政治家の裏側を目の当たりにする。東日本大震災と原発事故で、「新聞報道の限界」をつくづく思い知らされた。2014年、朝日新聞を次々と大トラブルが襲う。「慰安婦報道取り消し」が炎上し、福島原発事故の吉田調書を入手・公開したスクープが大バッシングを浴びる。
そして「池上コラム掲載拒否」騒動が勃発。
ネット世論に加え、時の安倍政権も「朝日新聞バッシング」に加担し、とどめを刺された。
著者は「吉田調書報道」の担当デスクとして、スクープの栄誉から「捏造の当事者」にまっさかさまに転落する。
保身に走った上司や経営陣は、次々に手のひらを返し、著者を責め立てた。
そしてすべての責任を押し付けた。
社長の「隠蔽」会見のあと、待っていたのは「現場の記者の処分」。
このときに「朝日新聞は死んだ」と、著者は書く。
戦後、日本の政治報道やオピニオンを先導し続けてきた朝日新聞政治部。
その最後の栄光と滅びゆく日々が、登場人物すべて実名で生々しく描かれる。

<発掘スクープ!朝日新聞「五輪中止勧告社説」の裏で政治部と社会部の大ゲンカが起きていた>・2022.07.27 ・https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96722
 
<「朝日新聞政治部」は新聞協会賞にのめり込み墓穴>・2022.07.31 ・中村 仁
https://agora-web.jp/archives/220730083900.html

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