<トランスジェンダー選手、大学水泳界を席巻 米で賛否沸騰>
トランスジェンダー、静かにしているなら、私は何も言いたくない、ご自由にと。
しかし、世の中で活躍すればやはりそれなりに摩擦が起きる。スポーツの世界であればなおさらであろう。
スポーツ、男女の運動能力に歴然と差があるので、男女別の競技。トランスジェンダーがそこに、摩擦が発生するのは必然だ。
<トランスジェンダー選手、大学水泳界を席巻 米で賛否沸騰>
【ケンブリッジAFP=時事】米ペンシルベニア大学の女子水泳選手リア・トーマス(22)は、その圧倒的な強さで米国の大学女子水泳界を席巻している。だが彼女は、つい数年前まで男子チームに所属していた。
https://www.jiji.com/jc/article?k=20220131042570a&g=afp
* 〈体育会系女子〉のポリティクス―身体・ジェンダー・セクシュアリティ(井谷 聡子 (著))
なでしこジャパン、女子レスリング…2000年代以降、かつて「男の領域」とされたスポーツで活躍する女子選手の姿をメディアで多く目にするようになった。しかし、そこにはスポーツが求めるたくましさと、社会が求める「女らしさ」の衝突があった。
強靭な身体と高度な技能、苦しい練習を耐えるタフな精神力や自律が要求されるエリートスポーツの世界。その中でも、「男らしいスポーツ」とされるサッカーとレスリングの世界で活躍するたくましい「女性アスリート」たちはメディアにどう語られたのか。その語りから見えてくる「想像の」日本人の姿とは。そこに潜むコロニアリティとは。
女子サッカーと女子レスリングで活躍する選手たちは、そのような語りをどのように受け止めたのだろうか。また、トランスジェンダーへの差別が絶えない社会で、トランスジェンダーやシスジェンダーでない選手たちは、女子スポーツの空間や「体育会系女子」をめぐる言説とどのように折り合いをつけ、スポーツ界に居場所を見つけ出してきたのだろうか。
本書は、「体育会系女子」の言説とジェンダー規範の衝突、そこに瞬間的に生まれる「第3のジェンダー空間」とジェンダー規範を揺さぶる「クィア」な可能性に迫るスポーツとジェンダー・セクシュアリティ研究の本である。